それは素晴らしい進化だ。
だが、反対に、公に言わなくてもいいことも、発信できるようになってきた。
新しく活動を始めた人に対して、名を隠し、心ない野次を撒き散らす人も多い。
作者を人と思わず、自動販売機を蹴るようにして文句を言う人がいる。作品がただの物として無料の場に置かれていると錯覚しているのだ。
だが、もうそろそろ次のステップに進めるのではないか。
作品を通して、人と人が豊かに交流できるようなネットワークを生み出すことができるのではないだろうか。
たぶん、これからの「一人前の大人」は「日本がどうなってもサバイバル出来る人間」のことだ。
子供を、国や社会がどうなろうとも生きていけるスキルと勇気とパワーを持つ人間にすることが親の役目。
昭和初期までのモラルも日本でしか通用しない。平成初期までの学歴も日本でしか通用しない。そういう日本的に共有してきた価値観が崩れても生き残れる人間にしてあげることが親の役目なのだろう。「教育=サバイバル術」である。
さて、そう考えてくるとき、子供の身につけさせるべきスキルやパワーはおのずと決まってくる。
まず、世界のどこに行っても自分の根っことしてプライドを持てる「日本人としての基礎素養」。これは「自分プレゼンテーション」に近い。自分の国の歴史・文化・宗教・芸術にくわしくなること。これを知らないと海外でバカにされるし、とても「一人前の大人」と見なされない。
次に基本スキルとしての「英語」。ただしTOEIC的なものである必要はなく、ある種のサバイバル・ツールである。同じような意味で「ネット・リテラシー」も重要。これに劣ったまま社会に出すのは親の罪だ。ネットの闇がどうのとかぬるいこと言っている暇はない。ネット世界から隔離した教育をしていると致命的なことになる。
あとは「世界観を広げること」かな。リアルな世界の広さ、様々な価値観にたくさん触れさせる。場馴れに近い。これも親の役目かもしれない。
鳥海修(字游工房代表取締役)
・文字は水であり米であるby小塚さん
・それを機に写研に入った
・10年勉強した
・他の大学生より文字を勉強したが写研に入ると全然ダメだった
・何がダメかというと
・書体見本を見ながら自分の名前をデザインしなさいという課題を与えられた
・よくみながらやってもだめ出しされる
・どうすればいいかわかんないから寝るしかなかった
・こっそり隣の高卒の人に聞いたらいろんなところを修正された
・下書きが終わってスミ入れに入って、インクで表面がボコボコになるまでやってもうまくいかなかった
・上手にレタリングがしたかったので写研で一番上手な人の下についた
・字遊工房として作ったのが30万字
・すげぇよこれは
・驚いてよ
・驚いた?
・ヒラギノが一書体で2万字
・さて今日は何の話をしようかと考えていたんですが
・去年と同じ事をやってもいいんですが
・今日は皆さんが寝てしまう話をしようと思います
・最近考えてることを皆さんに話してみます
・まず文字がどうやってできたか
・今の書体を知ってればいいと思ってたけどやっぱり過去を遡っていかないと釈然としなくなってくる
・これは殷の時代の甲骨文字です
・何に使ったかというと占いに使ったと言われています
・占い師が天と話をするための文字だった
・発見されたのはここ100年ぐらい、最近の話
・京都精華大学でもやってるんだけど今年の学生は奥ゆかしい
・今年の学生は全国的に奥ゆかしいのか?
・篆書から隷書まで100年ぐらいの間がある
・篆書は秦の始皇帝が作った初めての公用書体
・篆書は皇帝をあがめるために使った
・使にくすぎて隷書が生まれた
・牢獄にとらえられた人物が書いたものが皇帝に気に入られて採用された
・隷書はサブ的な役割
・隷書が進むと草書になる
・どんどん早く書こうとして草書になった
・「おうぎし」が文字に革命を起こした
・文字が美しすぎて皇帝がお墓に持って行ってしまったため現存するものがない
・虫食った跡まで再現してるこれはかなり信憑性の高いものだと言われている
・これは楷書の極地と言われてる
・どう?これ?すがすがしくなるでしょ?
・唐の時代を超える楷書は出ていないと言われてる
・これは空海の持って帰ってきた最澄とやり取りした手紙
・唐の達人の筆法をちりばめてこれだけ学んだんだぞということをひけらかしている
・空海は遣唐使ではなかったので自力で中国に渡った
・これはかなです
・最初は日本は文字を持っていなかった
・漢字が韓国経由で入ってきた
・当時は韓国から学ぶことは多かった
・漢字の読みを文字に当てたのが万葉仮名
・一つの文字が一つの音をもっている
・男は権威が好きだから漢字を使って女は文字で遊んだ
・で、これは仮名が市民権を得て和歌を書いた芸術品ですよ
・どう?これ?行をかさねてるんだよ?
・太い線の横に細い線を配置したり色々計算されてる
・アルファベットは合理的にできているからある程度勉強すればそこそこできる
・残りはその文字を使う文化に触れていないと難しい
・それと比べて日本語は何でもありだから大変
・これは明朝体の初めての形
・活字ではありません木に彫ってます
・縦に二十文字並んでます
・四百も字詰め原稿用紙はこれが元になった
・京都の「おおばくざん」という駅から見に行けるぜひ見てください
・これは金属活字
・明朝体は中国から入ってきた
・これはかなが読めないんよ
・文字は宗教と関わりが深い
・これに目をつけたのが元木昌造
・昌造はこれを機に印刷屋を始めた
・日本は音が少ないから中国から同じ音の漢字を集めてくると被る
・そこから10年ほどたつとある程度漢字が読めるものが出てくる
・連綿書体のニュアンスが残ってる
・これを活字で作ってた時代がある
・築地五号です、前期五号です
・丸明オールドに似てない?
・似てるんです
・やっとここまでたどり着いたと言うことです
・これが後期五号です
・これはいろんな書体のベースになってます
・A1とか他にも築地と名のつくものはこれがベースになっています
・これはうちの書体です
・漢字は明朝体だけどひらがなは明朝体じゃない
・ひらがなはなんて言えばいいんだろう?
・楷書と言っていい
・カタカナも楷書
・森鴎外のじだいからずーっとこのまんま
・なんでこんな入り混じってんのに読みやすいんだろう?
・ひらがなカタカナを明朝体に合わせた書体が作られたことがあったけど読みにくかった
・漢字、ひらがな、アルファベットの関係はずっと課題
・これは講談社文庫です
・写研の本欄明朝使ってます
・高齢者を対象にすると文字を大きくしなくちゃいけない?
・そうすると文章量がへってしまうから字間、行間を小さくしてしまった
・大きければ読みやすいというのは間違い
・不必要に大きくする必要はないと思います
・最近UDフォントみたいな誰でも読みやすいという書体が出てますが、一文字が読みやすいということと文章が読みやすいというのが全然話が違いますよ
・三省堂の新明解国語辞典
・仮名が平体がかっている
・これは文字数をふやしたいから
・漢字をつぶすと画数が多くて潰れるから仮名だけ
・百科事典
・太いひらがなはアンチック
・漫画の吹き出しはアンチック使ってる
・英和辞典
・ひらがなが長体がかってる
・小学二年生の書写の教科書
・絵本みたいでしょ?
・教科書体の話をしてます
・小学校の時の書体は全部教科書体を使ってます
・明朝体のように縦画が下に飛び出すが書き方を覚えるために出てない
・そういうところがうるさい
・東京書籍の小学六年生の教科書
・遊教科書体M使ってる
・初めて文字を見る子たちが勉強を嫌いにならないようにという願いを込めて作った
・ファウスト
・講談社の名物編集者が作った若者向けの小説雑誌
・回を重ねるたびに4ミリぐらいづつ太くなってる
・普通はだいたいの書体は決まってるんだけどこの雑誌は小説ごとに書体を変えてる
・ex)リョービの隷書体、A1、フォーク、岩田の細明朝体、秀英3号
・広告無料で載せるという条件で専用のひらがな書体も作った、広告の反響はなし
・立て看板の江戸文字
・チマチマ書かずにバサッバサッと書いてる
・落語好き
・予備校時代にずっと聞いてた
・古今亭志ん朝がよかった
・日本のスピードメーターのデザインがつまんない
・シトロエンのスピードメーターのデザインは面白い
・文字も印刷だけではなくどんどんデジタルで使われている
・印刷の文字はやっぱり完成度が高い
・紙の広告が減っている
・ただし文字の使用頻度は増えていく
・今後も文字が重要になっていく
・考えないといけないことがある
・いい文字を作らなくてはいけないし、いい文字を使って欲しい
・隷書や楷書がどんどん洗練されていったということはなんなんだろうか?
・新しい技術に移り変わると一度文字の品質が墜ちる
・活字から写植に移った時もそうだった
・写植からDTPへ移った時もそうだった
・ただし今は使える書体が増えた
・写植の頃よりも増えた
・でもいい書体はそんなにないと思う
・今の技術があればもっと読みやすい書体が作れるはず
・Macにヒラギノ、Winにメイリオ、DoCoMoの携帯にAXISが採用された
・これからは読みやすい書体から美しい書体が求められる
・美しい書体ってのは品がある書体
・品ってなんだ
・品位は各人が持ってるもの
・アルファベットの基準になっているトラヤヌスの碑文
・これはすごいキレイ
・FrutigerとかOptimaもこれをベースにしているってどっかでみた
・欧文書体はここに基準があるっていうことははっきりしている
・日本語におけるトラヤヌス碑文のようなものはないのか?
・僕は江戸の初期の嵯峨本に帰りたい
・これ活字です、木の活字です
・嵯峨本には色々種類がある
・今でも日本でもっとも美しい本だと言われている
・こういう仮名を作ってみたい
・みんながキレイだなと思える仮名がここにあるんじゃないかと思っている・駆け足でうちの仕事を紹介します
・まず東、国を作ります
・三、愛、袋、力などの12文字を作ります
・次に400文字を作ります
・頻出の部首とか
・その後自動的に部首を組み合わせた文字が出力される
・それを調整する
・作った文字は100文字単位で管理
・B5の紙に30文字を出力して壁に張り出す
・そこに修正する指示を書き込んで担当者に返す
・ホントに二万字もいるんですかねぇ
・常用漢字は2000字ぐらいですよ
・それなのに7000字作っても足りないって言われる
・これは資生堂の資生堂書体の練習帳
・山名文夫の広告がこれ
・山名文夫のイラストレーション
・エレメントのディテールを拡大した図版
・クラシックタイプのかなは触らせてもらえなかった
・いい悪いを超越してるよね
・欧文はマシューカーターだっけなぁ
・資生堂の文字に対する考え方は特殊
・資生堂から声がかかったのは書体をつくって欲しいといわれていったが新しいフォントを作る気はないと言われた
・資生堂書体の練習帳の残り部数が少なくなったので新しく作り直したいといわれた
・資生堂書体が書ける人がいなかった
・資生堂はフォントのように簡単に扱えるようにしたくない
・見本帳を通して身につけていって欲しい
・しかしその三人の書体は各人違ってた
・でもこちらがやったものに対して指摘する箇所は同じだった
・これは不思議だったけど気持ちがよかった
・結局その三人の意見をつきあわせたものをアウトライン化するという作業にした
1 その土地の開拓者であること。少なくとも、その土地への愛があること。
2 その土地らしさを意識していること。
3 オーナーの意志が感じられること。
4 やりたい意志のためのデザインがうまく投入されていること。
5 サービスや味がしっかりしていること。
6 金額の設定に納得ができること。
7 居心地があること。
例えば、東京からデザイナーを投入して、旅館の再生をしたとする。その旅館を想像して、上の7項目を考えてみて欲しい。場合によっては、思いつく地元のものに当てはめてみて欲しい。
はっきりダメなのは、デザインが際立ち過ぎているもの。特にデザイナーの名前を全面に売っているようなもの、こと、場所は寿命が短命になるに決まっている。「話題性」に頼ると、「話題性」に溺れてしまう。試しに、話題のデザイン旅館から、表面のデザインをすべて取り払ってみて欲しい。問題はそこに何が残るかである。これは、ジャパンブランドにも、人にも、そして、その土地にも言える。
いい店や、いい場所、いい県には、開拓者がいる。成功している県は、その行政にある人格が見える。外の力は利用して20パーセントくらい。残り80パーセントは、内から湧き出たもの、そういう体質でないと、継続すらしない。
どんなもの、こと、人にも景気は左右するけれど、最終的に生き残るものには、この定義が感じられる。
雑誌の広告枠をとんでもない高額で買い、時間のない中でデザイン事務所に任せ、他人を代表したコピーライターに、当たり障りのない褒め言葉のようなコピーを書いてもらった広告なんて、もう、生活者はみないのだ。そんなものでものを買ったりはしない。問題は発信するその会社が「そうしているか」を感じとれるかどうかであって、作り込んだイメージなんかで、人は動かない。
そのデザイナーに仕事のプロセスを見せてもらった時以来、私は考え方が変わってしまった。「不定型な仕事だから、どれだけ時間がかかるかは分からない」という言い方をしないようになった。そればかりか、他人のそういう発言も、単純には鵜呑みにしないようになった。そして設計や計画やデザインの質が低いのは、時間を費やせなかったせいではないかと疑うようになった。
デザイナー以外にも、不定型な仕事をしている人には何人も出会った。音楽家、映画監督、映像展示プロデューサー、建築家といった、事務作業や力仕事とはほど遠い業務に従事する人たちだ。こうした職種の人たちの多くは、成果物で報酬を得ている。しかし、よく聞いてみると、この人たちもたいてい、仕事に費やす時間や工数をかなり正確に見積もっているのだ。それどころか、報酬額が自分に必要な工数の分に足りないときは、どこを押さえてどこで手を抜けばいいかさえ、ちゃんと計算している。自分の評判を下げない程度に、質をキープする知恵である。いかにもプロフェッショナルである。
そういえば、バートランド・ラッセルは本を書こうと決めたら旅にでたそうだ。二、三カ月して帰ってきた時には、本は頭の中でできあがっている。後はそれを書き下ろせばいいだけだったそうだ。思考を無意識の領域にまかせられるなんて凄い。
私にはラッセルの真似など到底できないが、それでも昔は短い原稿ならテーマを決めてぐっすり眠ると、朝にはできていたものだった。近年はそれができなくなって夢現つ状態で考えている。だからカードをベッドのそばに常時置いておく。忘れないうちに書き留めるのだ。
いったん書き留めてしまうと熟睡できる場合もあれば、堂々巡りしていた頭が自由になってさらに先に進む場合もある。今度のiPhoneにはボイスメモがついているので、書くかわりに吹き込むことにするととても楽なことに気がついた。
しかし、大きな違いがある。紙に書くと書いたものがそのまま目の前に形をとり、相互作用が起こりやすい。吹き込むと、思考が虚空に吸い込まれた状態になり、頭が空っぽになってしまう。フィードバックが起こらないのだ。
たとえば、僕が関わることの多いメディアとしては、
「雑誌」「ブログ」「レクチャーやトーク」があるとすると、これは公共なものから
私的なものへの順番でもある。「公共」の度合いを「距離感」で説明してもいい。
雑誌で展開できないことをブログでやり、ブログにも書かないことをトークで
伝えたりしてるのだが、そのトークがネット配信されるとうことは、それによって
公共性が高まって、ブログレベルに引き揚げられてしまうような気がしたのだ。
トークに来てくれた人に対して「ここだけの話なんだけどさ」という話題を
披露することができないじゃないか、と。
(略)
トーク(一対多、一対一ともに)というのはもっとも古いタイプのメディアであり、
今でも最高に魅力的な伝達手段ですよね。トーク(一対多、一対一ともに)というのはもっとも古いタイプのメディアであり、
今でも最高に魅力的な伝達手段ですよね。
みうら それぐらいしか残ってないよね。現役で死ぬってやつでしょ。沢山の人から認めてもらうことよりも、自分が自分で満足することが一番難しいからね。
トモロヲ 人の評価で満足出来ない自分が一番面倒くさいね。