「見る」は、いかにも主体的な行為で、
「見られる」対象にはたらきかけるという感じです。
それにくらべると、「聞く」のほうは、
「ちゃんと聞け」なんて具合で、
主人公は相手の側で、
「聞く」ほうの人はそれに対して受動的にいるだけ。
一見、なんにもしてないようにも見えます。
耳はまばたきもしないしね、
よく聞いているからといって輝いたりもしない。
だから、どうしても「聞く」って
たいしたことないと思われがちなんだよなぁ。
だけどね、「聞く」っていうのは、
もう、ほんとにすごいことなんだ。
しかも、誰でもできる。
企業とかに勤めはじめたばかりの新人だったら、
とにかく人の言うことをよく「聞く」だけで、
実にいい仕事をしていることになるんだよ。
「言う」人は、聞かれたいから言ってるんだからね。
ちゃんと聞いているかそうでないか、
見えるような証拠もないだけに、
よく「聞く」か、いいかげんに「聞く」かは、
自己申告、自己判断なんだよ。
マナーに近いものなのかもしれない。
だけど、よく「聞く」人と、
いいかげんに「聞く」人の差は、
あきれるほど、どんどんと開いていくものなんだ。
人っていうのは、「聞く」人に向かって話すからね。
こいつは「聞く」な、と思えば、
その人のために、どんなことでも話すようになる。
そういうものなんだ。
ことばそのものを「聞く」だけじゃなく、
ことばの奥にある「気持ち」だって、
「聞く」ことができるようになる、だんだんとね。
やがては、直接にことばの素になるようなことまで、
「聞く」ことができたりもするんだ。
たぶん、あの果物のりんごにも聞けるし、
魚の言いたいことも聞ける、石ころでも聞ける。
目に見えないことのほうが、見えることよりも
たっぷりと豊かなのかもしれないと、
「聞く」ことをくり返しているうちに、
わかるようになるかもしれない。