①<新しい頁をきりはなつとき/紙の花粉は匂ひよく立つ>。室生犀星の詩『本』である。(中略)◆真新しい紙の匂いか、インクの匂いか。いまはフランス装の本をあまり見かけないが、普通に製本された書物でも、花粉にたとえたくなる新刊書の香りは読書好きの人ならば知っている◆(続く)
—-
②◆谷川俊太郎さんが詩集『詩の本』(集英社刊)のあとがきで「匂い」に触れていた。<…手にしたときの重さ、匂い、ページを繰るときの紙の手触りなど、栞をはさむというささやかな行為すら、詩の一部だと感じさせるのが詩の本の魅力だろう>と◆(続く)
—-
③◆“電子書籍元年”という声も聞こえるなかで迎えた読書の秋である。携帯端末で読む電子書籍にはそれなりの便利さがあるにしても、紙の書籍がもつ匂いの魅力が消えることはあるまい◆読売新聞編集手帳(9月23日付)より
そうやって、指先に残る記憶をたどってみるとき、印象深いのは、戦後まもなくに出た本の感触だ。
この時期の書籍用紙の多くは、現在、ぼくたちが日常的に接している書籍用紙とは、ぜんぜん違う。洋紙というよりは、和紙に近い。表面はザラザラだし、それほど薄いわけでもないのに、向こうが透けて見えそうな気がする。
いかにも、物資が乏しかった時代らしい雰囲気だ。
でも、耐久性という意味では、戦前の書籍用紙よりはすぐれているのではないだろうか。戦前の本の紙は、少なくとも、裏ページが透けて見えたりすることはない。しかし、酸化してしまって端からボロボロになっているのを、よく見かけた。
それに対して、戦後まもなくの紙は、見かけははるかに頼りないけれど、ほとんど劣化しないようだ。おそらく製本されたときからこんな感じだったんだろうなあ、といった風情で、静かにたたずんでいたものだ。
(略)
この本の紙に触れるとき、ぼくの指先は、この本を作った人たちの思いにかすかに触れる。そんな気がする。