危険から守り給えと祈るのではなく、
危険と勇敢に立ち向かえますように。
痛みが鎮まることを乞うのではなく、
痛みに打ち克つ心を乞えますように。
人生という戦場で味方をさがすのではなく、
自分自身の力を見いだせますように。
不安と怖れの下で救済を切望するのではなく、
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。
成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような
卑怯者ではなく、失意のときにこそ、
あなたの御手に握られていることに気づけますように。
・「できっこない」と思いすぎていたことでも、
結果的にできちゃう場合があります。
これくらい時間が経ったら、堂々と言えますが、
今年の8月2日がくると、ぼくの禁煙が6年になります。
ここまで来たら、「禁煙できた」と言っても、
誰も笑わないでしょう。
習慣を変えるということは、とてもむつかしいですが、
絶対にできないわけじゃない。
ひとつできると、ずいぶん自信にもなりますから、
次のこともできるような気にもなれるわけです。
・まるで、じぶんに催眠術をかけるように言うのですが、
「ほぼ日」の、この『今日のダーリン』にしたって、
11年、毎日続けてこられたじゃないですか。
そのことにしたって、はじめる前に
「できるか?」と真剣に訊かれたら、
きっと「できっこない」と真剣に答えたと思うんです。
だけど、実際にはできているわけですからね、
「できっこない」と思いすぎるのが、いちばんよくない。
・習慣というものは、敵でもあり、
最大の味方でもあります。
そこまでは、よくわかっているつもりなんですけどねー。
昭和二十年三月十日の(東京)大空襲から三日目か、四日目であったか、
私の脳裏に鮮明に残っている一つの情景がある。
永代橋から深川木場方面の死体取り片付け作業に従事していた私は、
無数とも思われる程の遺体に慣れて、一遺体ごとに手を合わせるものの、
初めに感じていた異臭にも、焼けただれた皮膚の無惨さにも、
さして驚くこともなくなっていた。
午後も夕方近く、路地と見られる所で発見した遺体の異様な姿態に不審を覚えた。
頭髪が焼けこげ、着物が焼けて火傷の皮膚があらわなことはいずれとも変りはなかったが、
倒壊物の下敷きになった方の他はうつ伏せか、横かがみ、仰向きがすべてであったのに、
その遺体のみは、地面に顔をつけてうずくまっていた。
着衣から女性と見分けられたが、なぜこうした形で死んだのか。
その人は赤ちゃんを抱えていた。
さらに、その下には大きな穴が掘られていた。
母と思われる人の十本の指には血と泥がこびりつき、つめは一つもなかった。
どこからか来て、もはやと覚悟して、指で固い地面を掘り、赤ちゃんを入れ、
その上におおいかぶさって、火を防ぎ、わが子の生命を守ろうとしたのであろう。
赤ちゃんの着物はすこしも焼けていなかった。
小さなかわいいきれいな両手が母の乳房の一つをつかんでいた。
だが、煙のためかその赤ちゃんもすでに息をしていなかった。
わたしの周囲には十人余りの友人がいたが、だれも無言であった。
どの顔も涙で汚れゆがんでいた。
一人がそっとその場をはなれ、
地面にはう破裂した水道管からちょろちょろこぼれるような水で手ぬぐいをぬらしてきて、
母親の黒ずんだ顔を丁寧にふいた。
若い顔がそこに現れた。
ひどい火傷を負いながらも、息の出来ない煙に巻かれながらも、
苦痛の表情は見られなかった。
これは、いったいなぜだろう。美しい顔であった。
人間の愛を表現する顔であったのか。
だれかがいった。
「花があったらなあ――」
あたりは、はるか彼方まで、焼け野原が続いていた。
私たちは、数え十九才の学徒兵であった。
自分の人生の代打、リリーフは、誰もいないからね。
時間も大事だと思います。僕は、その人が何かを始めてから1年半経ってないと、その人の言うことは信じないことにしているんです。例えば、「俺には才能がない」とかね。そう言われたら、「それは言い訳だ」とハッキリ言ってしまいます。これまでやっていなかったことに切り込むって、そんなに甘くないでしょう。もちろん先天的な能力もありますが、1年半くらいやらなければ「始まりもしない」と。本当にやりたいことであれば、1年半は乗り越えるのに必要な期間だと思いますよ。
実際、僕はカメラマンとして1年半活動しましたし、それから今後の展開を考えようという考えがありました。あまり「向いてない」ことを言い訳にするのはよくないと思う一方で、本当に向いていないことはアッサリ止めた方がいいという考えもありますけどね。
一番簡単な例を出すと『戦争』という言葉を聞いただけで無差別に拒否反応を示す自称・反戦主義の人がいるでしょ?
そういう人たちに僕はひとつたずねたい。
もしほんとうの闘争がない時間を一人の人間の一生に与えたとき、その人間は向上するのか!?
向上しないで生きていけるんですよ。ドベーとしてるだけですむんだから。そんな人間が恋愛をして結婚して子供をつくって、仕事をこなして(ひょっとすると、仕事しなくてもいい世界かもしれないけど)なおかつ、子供から嫌がられない老人になって安らかに死んでいける一生を送れますか?それができる人がいたら教えてほしい。そんな人畜無害の天国で、人は生あるものとして十全たる形で生きていくことができるのか。
私たちは戦いがあるから、むしろ優しく生きられるんです。
でもいつか、戦いを媒介としないで、個としての自分と対決できるニュータイプに、人は進化していかなければならないんじゃないか。僕は絶対に人間はそれができると思っています。そのために何をしなければいけないか。宇宙生活者になるという環境と刺激を手に入れて、新しい生き方を選択せざるをえないくなってくるでしょう。そこが、ニュータイプを考えていくうえで一番重要なことだと思うんです。
i以下は、司馬遼太郎さんの著書『二十一世紀に生きる君たちへ』の内容を、私なりにまとめたものです。
—すなおでかしこい自己を確立せよ。
「いたわり」「他人の痛みを感じること」「やさしさ」。この3つの感覚を訓練して身につけよ。
この根っことなる気持ちを訓練すれば、たのもしい人格を持てる。
その訓練を続ければ、たのもしい自己が確立される。
これは、いつの時代でも、人間が生きていくうえで、欠かすことのできない心がまえだ—
●頼むから耳を傾けてほしい。絶望したものよ。
心の内に閉じ込めた力を、人にぶつけるな。
自分にもぶつけるな。
好きなことはなんだった。
夢中になれることはなんだった。
ないのなら探すんだ。
ないのなら創るんだ。
決して奪ってはいけない。
なくしてはいけない。
●学校は、学校のなかで通用する人間しか作ってくれない。
拡い社会にでれば、自分より強いやつはいて、自分より頭のいいやつは、いくらでもいるんだ。
絶望を勘違いしてはいけない。
絶望とはチャンスである。
どうにもならないことも、必ずどうにかなるんだ。
人にたよればいい。正直に人と話せ。
人に裏切られ傷つけられたって、それでも人を信じて。
人を探せ。
自分を探せ。
自分をさらに高めて。
倖せを見つけろ。
君がこの世に産まれたように。
命を産み出せ。
自分を殺すな。
人を殺すな。
●追記。よく、加害者がゲームやアニメを好んでいたとニュースで大袈裟に伝えられるが。
コミュニケーションに傷つき自分の殻に閉じこもってしまったものが、他になにをして遊ぶ?
友達もなく、外にでることも出来ない傷ついた孤独な人間に、サッカーをやれとでも言うのか?
一人で遊べることをしていて、当たり前じゃないか。
●一人でできることならば、個人的な願いになるが、願わくば、たくさんの本を読み、音楽を聴き、そして自分の内に秘めた力を表現、創作に注ぎ、暗い海の底から浮上してほしい。
素晴らしい考えを持った人達、たくさんいるんだよ。
信じてほしい。
私は、僕は、きみたちのために、このブログの記事を真剣に書いている。
人は生まれて、生きて、死ぬ、これだけでたいしたもんだ。
ビートたけし