これからの時代は空想ではなく、体験だ。イメージではなくて、実際なんだと思う。目に見えないものに憧れてしまいがちな、いわゆる未来だけれど、やはり、かなり泥臭いところにしか、人間は生きられないように思う。
雑誌の広告枠をとんでもない高額で買い、時間のない中でデザイン事務所に任せ、他人を代表したコピーライターに、当たり障りのない褒め言葉のようなコピーを書いてもらった広告なんて、もう、生活者はみないのだ。そんなものでものを買ったりはしない。問題は発信するその会社が「そうしているか」を感じとれるかどうかであって、作り込んだイメージなんかで、人は動かない。
やりたいことができないのであれば、5万部にしてでもいいから、みんなで共感できるものをわたしは作りたいと思っています。

ageha:
大手は経費削減とか言ってますけど、「ヤバイ」と言っている意味が分からない。どこかからお金を出して借りてくるのではなく、最初から物を拾って利用するくらいだったので経費なんかほとんど無いし、人がいなくて当たり前だったし、コピー機も壊れていて当たり前という感覚なので、大手さんほど危機感がありません。ずっとそのまま読者が求めているものを作っていくのが編集者にとって大事にしなければいけないものであって、それを全員でやっていけばいいんじゃないかなと思っています。よく雑誌はネットに取って代わられるとか言われますけど、意味が分からないんです。だって全然違うものじゃないですか。イスとケーキくらい違うものと思っているので。

G:
確かに。私自身、雑誌もネットも両方経験していますのでよくわかります。

ageha:
全然別物じゃないですか?紙をめくることとネットで見るものって本当は全く違うし、見る環境も読者層も違ってくるのに、雑誌が売れないことをネットのせいにしているだけだと思うんです。特に世の中の出版の人って。

G:
確かに「何でもかんでもネットのせいにしないで欲しいなー……」とは思いますね(苦笑)

ageha:
ネットに取って代わられたのではなくて、雑誌がダメになっただけなのに、すべてインターネットが普及したからとか携帯世代がどうのこうのって言っている意味が全く分からないんですよ。そんなことよりも雑誌ってすごく楽しい遊び道具なのですから、それを面白く作っていればみんな読んでくれる訳じゃないですか。それをほかのものと比較するというのが、意味が分からない。

携帯小説などを読んだりするのも全く問題ないと思いますが、雑誌という楽しみもあるということを忘れられてしまっては困りますよね。雑誌で育ってきた私たちが編集者という立場になったので、今度は下の子たちに面白い雑誌を作って読ませてあげないといけないと思うんです。そうしないと、どんどん雑誌を読んでくれなくなっちゃうじゃないですか。そうするとインターネットの方に流されていってしまうと思うんです。やっぱりインターネットのように手軽にお金出さなくても簡単に見れてしまうって、確かにそんな手軽で面白いものなんて無いじゃないですか。でもそうじゃなくて、コンビニや本屋で表紙を見てビックリして、中身を見て度肝を抜かれて買って、そうやって買った雑誌をを隅々まで見るという一連の流れが、こんなに楽しくて面白いんだと感じさせるように私たちが頑張らなければならないんだって思うんです。
mayuka:
1960s - 1980s Which? Magazine Coversvia grainedit.com

mayuka:

1960s - 1980s Which? Magazine Covers

via grainedit.com
「雑誌は“紙の束”に価値があるのではない。読者が共通テーマに集い、コミュニティー(共同体)を形成する。こうして培ってきたコミュニティーが雑誌の最大の命だ。そこに無自覚だとwebに取って代わられるだろう。読者は良くも悪くも実利をとる。webと相性が良いと分かるや、そちらへ行った。読者の志向とかけ離れたことが、この10年の雑誌の苦境を招いたといえる」
(小林弘人氏)

ところで、すでに休刊した『Title』や『エスクァイア日本版』もそうだったし、休刊が伝えられたばかりの『スタジオボイス』もそうだし、『ブルータス』でさえそうだが、ほとんどの雑誌が「特集」主義でつくられている。カバー・ストーリーがあるのはどんな雑誌でも当然だけど、ひとつのテーマで雑誌の大半ができている雑誌なんて、「雑」誌じゃない。特集内容によって、号ごとに買われたり買われなかったりする雑誌は、雑誌のようなかたちをしているけど、もはや実質的にはムック(つまり広告入りの本)であり、定期刊行物として受け取るべき理由は、読者の側には存在しない。

中味のよしあしに関係なく(それこそ、読まなくてもいい)毎号買ってくれるような、ロイヤルティの高い読者が一定程度いないかぎり、雑誌として出し続けること(=受け取りつづけること)には意味がないわけで、そのかぎりではいま、日本に本当の雑誌がどのくらいあるのかといえば、かなり疑わしいように思う。「雑誌を買う」という習慣を身体化している(つまり、買うのをやめるだけの運動神経のない)高齢読者が多いであろう『文藝春秋』や『週刊文春』ぐらいしか、男向けの活字系雑誌は存在していないんじゃないか。

編集者のはしくれとして、雑誌が「雑誌特集」や「○○年代カルチャー特集」という企画をやり始めたら終わりの始まりだと信じている。
あなたが一冊買えば、その雑誌は続く

numabooks:

スタジオボイスにしてもエスクァイアにしても、惜しんでいる人はすごく多いんだけどそれが必ずしも買っていた人ばかりではない。「買ってましたか?」ときくと「買ってなかったけど」という人が多い。

エスクァイアのときはそういう人に会うと、内心ちょっとイラっとしながら「惜しむなら買えよ」と思っていたけれど、スタジオボイスがtwitterでこんなに盛り上がってるのをみるとそんな毒を吐いてる場合ではなくて、むしろ存続がヤバイ雑誌が、まだなんとか立て直せるうちに「存続がヤバイ」ということをアピールできるような方法を考えなきゃいけないんじゃないか、と思った。

雑誌は読者コミュニティであるといわれていた。いまはどうかわからない。けれど、少なくともその雑誌に対して一時期お世話になったという気持ちと共にふだんは読んでいないけれど愛着を持っていたり、毎号ある連載だけを熱心に立ち読みしていたりする層がいるとして、その人たちがもし「いまこの雑誌は売り上げ不振で存続がヤバイらしい」ということを知るようになれば、その雑誌や編集部に対して投票するような気持ち、あるいは募金するような気持ちで、「なくなるのは嫌だから、買う」という行動を起こすことだって、ないことはないような気がする。

雑誌がこれだけヤバイヤバイといわれるようになって、雑誌のことは好きだと言うくせに「今年もまだまだ廃刊になりますよ」「雑誌はもうなくなるでしょうね」なんてしたり顔で言うやつはうんざりだ。そうじゃない。「あなたが一冊買えば、その雑誌は続く」というのは「エコポイント家電を買えば、地球は温暖化しない」というよりは、よっぽどリアリティがある。もちろんすべての雑誌の廃刊理由が売上不振ではないにせよ、なんかそういう気持ちを、すこしでも広めたらいいんだと思う。そうじゃないと、愚直な雑誌から順番になくなってしまう。

学生の時に雑誌を創刊して、その後も何かと節目に雑誌を作っている人がいる。その人いわく、「メディアを作れば対談也取材なりということで格上の人と会うことができる。自分にとってはメディアは発信するモノではなくて、機会を作るためのもの」とか。おもしろい意見。
雑誌は何で買われるか。それは暇つぶし。佐野さんの本は俺も持っているが、佐野さんが連載した雑誌は捨てた。今の暇つぶしは何か。ネットかケータイ。暇つぶしのものとしてやっている以上、雑誌が売れるわけがない。今の雑誌のビジネスモデルは終わってる