これからの時代は空想ではなく、体験だ。イメージではなくて、実際なんだと思う。目に見えないものに憧れてしまいがちな、いわゆる未来だけれど、やはり、かなり泥臭いところにしか、人間は生きられないように思う。
雑誌の広告枠をとんでもない高額で買い、時間のない中でデザイン事務所に任せ、他人を代表したコピーライターに、当たり障りのない褒め言葉のようなコピーを書いてもらった広告なんて、もう、生活者はみないのだ。そんなものでものを買ったりはしない。問題は発信するその会社が「そうしているか」を感じとれるかどうかであって、作り込んだイメージなんかで、人は動かない。
批評が目的ではありません。関心の輪を広げることが目的です。輪の中から批評は自ずと立ち上がります。スモールメディアがつながれば、新しい形のデザインジャーナリズムが見えてくるかなって思ってます。そんなことを@btfのトークを振り返りながら考えてます。

たとえば、僕が関わることの多いメディアとしては、
「雑誌」「ブログ」「レクチャーやトーク」があるとすると、これは公共なものから
私的なものへの順番でもある。「公共」の度合いを「距離感」で説明してもいい。
雑誌で展開できないことをブログでやり、ブログにも書かないことをトークで
伝えたりしてるのだが、そのトークがネット配信されるとうことは、それによって
公共性が高まって、ブログレベルに引き揚げられてしまうような気がしたのだ。
トークに来てくれた人に対して「ここだけの話なんだけどさ」という話題を
披露することができないじゃないか、と。

(略)

トーク(一対多、一対一ともに)というのはもっとも古いタイプのメディアであり、
今でも最高に魅力的な伝達手段ですよね。トーク(一対多、一対一ともに)というのはもっとも古いタイプのメディアであり、
今でも最高に魅力的な伝達手段ですよね。

「テキストはできるだけ正確であるべし」という誰もが当たり前のように抱いている常識が、「紙」という有限で後からの修正が難しい媒体ゆえの縛りでしかないとしたら……。

俺が思うに、ネットの進化はいずれニュースサイトやブログを滅ぼす。あれは新聞や雑誌を知っている世代の代替物であって、なにもネット上で「新聞や雑誌の真似事」をする必要はない。情報はあそこまで厳密でなくていい。今のニュースサイトやブログでも、まだ厳密過ぎる。

最終的にネットのマスメディアは、膨大な噂話の集合体みたいになるんじゃなかろうか。TwitterやTumblrの方向性が極まった感じ。

メディアが早くなるにつれて感情が込められやすくなるということは以前から言っていたこと。Twitterはとてもパーソナルなメディア。現場にいる個人からのパーソナルなメッセージを読むことは、一体感を生み、自分に何ができるのだろうかと考え、アクションをとるようになる。安全なウェブプロキシーとか、Twitterにメンテを遅らせるよう働きかけるとか。
誤解する人がいるので、言っておくが、TVとネットの比較なりをするときに、必ず「動画コンテンツ」の話をする人がいるが、これは完全に的外れである。TVとネットの競合は、「動画コンテンツ」としての競合ではない。もちろんTVの表現形態はほぼ動画コンテンツに集約されるが、ネットはそうではない。テキストや画像、音声など様々な表現形態がある。 テキストを侮ることなかれ。下手なTVの動画によるバラエティ番組よりも、2chの掲示板の方が面白い事も多いし、それよりも恋人とメールのやり取りを繰り返している時間のほうが幸せだろう。
学生の時に雑誌を創刊して、その後も何かと節目に雑誌を作っている人がいる。その人いわく、「メディアを作れば対談也取材なりということで格上の人と会うことができる。自分にとってはメディアは発信するモノではなくて、機会を作るためのもの」とか。おもしろい意見。